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新潟市の泉心道鍼院よりメッセージ
エブリーゆっくり寝てください
2010年7月8日
冷房がつきましたよ。
前略。今日、注文しておいた冷房がようやくエブリーの部屋につきました。
昨日、今日ととても暑くてエブリーも死にそうになっていました。ここ三日ほどは寝室にエブリーを入れて一緒に寝ていましたが、今日からは一緒に寝なくても良いようです。
新潟はとても暑いし、最近地域的に豪雨が相次いでいて「ゲリラ豪雨」などとニュースで言っていましたが、物凄い量ですね。
東京都内であんなに降るのですから、本当に恐ろしいです。
今年の夏はこれからどうなるのか心配です。
それでは、後日にお便りします。
ダイエットは難しい?
2010年7月6日
エブリーを痩せさせなければ!
前略。今日も蒸し暑い1日でした。
人間と同じで犬も中年になってくると体重が増え、それがなかなか落ちて来ないようです。
今日、盲導犬協会の先生が訪問されて、エブリーの爪を切ってくれました。
少し太っているので、これから尚更足や腰にダメージが来るかもしれないので、痩せさせてくださいと言われました。盲導犬は生まれてから引退するまである程度は食事監理をしていますので、何でも食べさせたり量を多く与えたりすることは出来ませんが、
それでも私のような易しい!ユーザーでは犬の要求に負けてしまい、おやつを与えたりするので、
ワンチャンが太り気味になってしまいます。若いときはそれでもたくさん歩かせたりすると体重が落ちるのですが、なかなか年を取ると動きそのものも鈍くなるし、歩く距離も少なくなってしまいがちですので、体重オーバーということになります。
ただでさえ、食べたがりのエブリーくんにダイエットをさせるのもさあ大変です。
それでは後日にお便りします。
疲れてしまって寝てしまいました
2010年7月5日
東京へ行って来ました
前略。昨日は東洋はりの定例本部例会で東京へ行ってきました。
朝4時15分に目覚ましをかけているのですが、いつもなんども目覚めるため、
4時に起きてしまいました。洗面や着替えをしてエブリーに朝食を食べさせてからいつものようにエブリーと出かけました。
新潟から同じ支部の人と一緒に行くので、本来はエブリーはお留守番でも良いのですが、犬は年を取ると尚更寂しがりやになってしまい、こらえ性がなくなるので、可哀想であり、連れて行っています。最近我が家の冷房が壊れていてまだ新しいのが届かないため、新幹線や会場が涼しくてエブリーにとってはかえって昨日は楽であったのかもしれません。
土曜日の夜はそれでも数時間は眠ったと思いますが、汗をかいて冷房で涼しくなった成果、講義が始まると眠くなってしまい、うとうとしてしまいました。
後から、講義の内容はCdで聞けるので、まあ良いのですが、居眠りに東京へ行ってきたようなものでした。
今日も又暑くなってエブリーは身の置き所がないようにしています。
それでは後日にお便りします。
暑くてもだめ。寒くてもだめ。
2010年7月2日
暑くて冷房が必要ですね。
前略。昨日今日と暑くて冷房が必要なくらいです。ここ二日続けていつもは朝早くに散歩へ行くのですが、寝坊をしてしまいました。しかし、朝のうちに行っておかないとワンチャンが暑がっていけなくなるので、少しだけ連れて行っています。
昨日も今日も午前中に来院が少ないため、パソコンをしたり研修会の復習をしたりと時間をもてあまし気味です。午前中は出来るだけ冷房はつけないようにしていますが、さすがに午後になるとどうしてもつけずには入られなくなります。暑いのを我慢するか、冷えすぎて体のあちこちが痛くなることを我慢するかの選択になっています。
数年前までは暑くても我慢が出来たのに、今は暑いのも我慢が出来ないし、寒いのも寒がって動けない状態です。
人間が贅沢になったのか、ただ単に新陳代謝が落ちてきて、こらえ性がなくなっただけなのでしょうか?
それでは後日にお便りします。
基準はまちまち!
2010年6月30日
もう半年が終わります
前略。早いもので今日は2010年6月30日となりました。2010年も半分が終わりですね。それにしても昨夜のサッカーワールドカップ日本戦は惜しかったですね。でも、当初の予想よりは大きく健闘したのではないでしょうか?2002年のときもべすと16で惜しくも敗れてしまって、それ以上の成績を期待したのですが、残念ながらベスト16停まりとなりました。ベストエーと吐、16ではとても大きな違いがあるように感じられるのは、我々が本々持っている潜在意識によるものではないかと思いました。
たとえば、銅メダルと4位との違いや金メダルと銀メダルとの違いは、力の違いを我々が感じてこのように思うのではなく、かなりの部分はイメージによるものではないかと思えてなりません。
そのイメージを抱くには、その人が持っている基準といえようか、ボーダーラインが存在するのではないかと思います。
そのボーダーラインは人それぞれによって高さも違えば、幅も違うようですが、皆が持っているものだと思います。
皆違ってそれでいい。と思いたいところですが、世の中には一定の基準がひつようであることも事実ではないでしょうか?
その基準がまちまちであると、なにかをみんなで一緒にしようと思ったときに、美味くいかなかったり意見が異なったりすることが出てくると思います。
型に嵌り過ぎると人間味がなくなるし、あまりにも逸脱しすぎれば社会的協調性がなくなり、時には非常識となってしまいます。
まあ、その常識が今の世の中は可笑しくなってきているようにも思いますが。
それでは、又お便りします。
草々